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俳優になった現代のサムライ 藤岡弘、さんインタビュー 「映画という手法で日本の精神的な強さを発信したい」(2021年3月9日号)

芸能生活55周年を迎え、俳優としてはもちろん、幼少期から続けられている武道の技もますます円熟味が増している藤岡弘、さん(※)。初代仮面ライダーとして大ブレークした藤岡さんは、1970年代当時から全国各地の児童養護施設や体の不自由な方々が利用する施設を訪れ、その後は海外の紛争地にも足を運び、ボランティア活動を続けています。人を思いやる強さ、武道家としての強さ、そして俳優として半世紀以上も第一線に立ち続ける強さはどこからくるのでしょうか。藤岡さんにお話を伺いました。 
※「、(読点)」は「未だ完成していない」という意味が込められている。

厳しいしつけを受けて育ち、映画で世界が広がった

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- 幼い頃から武道家のお父さま、華道や茶道の師範代でもあったお母さまから大変厳しく育てられたそうですが、そうした中、どのように俳優を目指されたのでしょうか

父は警察官で、四国八十八箇所を巡礼するお遍路の44番目に当たる愛媛県大寶寺(だいほうじ)を抱く村に赴任していました。そのときに生まれたのが私です。そこは自然の山々に囲まれており、ウサギや雉もいれば、イノシシや鹿、猿もいました。

父は古武道の「藤岡流」を継承する武道家、母もお茶、お花、琴、着物、和裁などの先生をしていました。そのため幼少期は、父から武道の基礎や武士道精神を教わり、母からは日本古来の厳しいしつけを受けて育ったんです。

その後、父が出奔してしまい、母が苦労をしながら兄と私を育ててくれました。そうした環境の中で出合ったのが映画です。

映画を見て、世界が広がりました。東映の時代劇やフロンティアスピリッツあふれる米国の西部劇、伝統を受け継いだヨーロッパのアート映画、さまざまな映画から刺激を受けました。「今のこの環境にいてはダメだ、もっと夢を持ち挑戦しないと埋もれてしまう」と思わされました。そのためには、映像の中心地である東京か京都に行かなければと、夢を追いかけるようになっていったんですね。